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マスコット・新聞

エッセイ/原稿用紙14枚/2004.2.7


今回はワタシ(絵)が主役です! このサイトをご覧になればわかる通り、僕は駄文をトツトツ書く人間なのであります。
 じゃ、それ以外はやらんのかというと、そういうわけでもない。と言っても、楽器とかやってたわけではなく、過去に数えるほどではありますが、絵の方をちょっとだけ、嘗めてみたことがあったのです。ぺろりっ。

 なんの「絵」を描いたのかというと、表題の通りのものです。
 しかし――ああ、ちゃんと日記つけるべきだよなあ。いつの出来事だったのか、もう思い出せないよ……。
 十五年くらい前の話だったかな……? 昔だなあ……。
 とにかく、日本の新聞協会(名称の正確さは自信なし)て所が、新聞のマスコットの募集をしていたのです。各新聞に募集の広告が出てたから、憶えている人もいらっしゃるかもしれない。
 僕はそれに応募したのです。

 動機は、賞金とか、いろいろあるけど、とにかく何かを考えたかったんだな。
 自分の頭ん中から、ちったぁ芸のあるアイデアを絞り出して、それを、人様に見てもらいたかった。評価してもらいたかった……。

         ※

 さて、マスコットだ。
 初めて「新聞って、何だろう?」と考えたような気がします。
 それまで「社会の公器」とか、「手元に残る情報」とか、聞こえのいい適当な定義を付けて、それでよしとしていた所があったと思う。あんまり気にはしていなかったわけです。僕だけじゃなく、大多数の一般の人たちは皆、そのような認識だったと思います。

 その、新聞を、マスコットにする!

 世間に、「ワタシが新聞ちゃんですよ!」とアピールするのです。
 いったいソレはどんなモノなんだろう!? いったいどんな顔をしているのだろう!?
 その、考える困難さ、面白さ――少しは理解していただけるでしょうか。

         ※

 新聞を畳の上に広げる。あらためて見てみると、なんとも広い四角形ではある。
 この中に、膨大なデータがぎゅうぎゅうと詰まっているわけだ。
 胡座をかいて、腕を組んで、「うーーん」と唸ってみたりもする。
 ふと、新聞紙を横から見る。
 なんとまあ、あんなにもデカかった新聞というモノが、なんと薄くなってしまうことであることよ……!
 ――コレだ、と僕は思いました。
 横から見た新聞紙を、マスコットにデザインしようと考えたのです。
 そしてできあがったのが、上のイラストでした。(当時の新聞だから、実際は白黒だよ!)

         ※

 新聞紙を開く。左から右へ……。
 その度ごとに、知識が花開き、実を結ぶ……。

 イラストには、そういう意味が込められているんです。

         ※

 で、どうなったかというと――ボツだわなぁ、これじゃ。
 求められているのは、「マスコット」だもん。上は、どう見てもそうは見えん……。

 負け惜しみではけっしてない。自分でもわかってました。
 結局、どんなのが選ばれたかというと、
「山折りの新聞紙に、笑顔の目鼻、口が付いていて、両足で歩いている」
 そんなデザインのマスコットでありました。
 目にされた方も、沢山いらっしゃると思います。

         ※

 聞いた話ですが、プロのデザイナーは、ひとつのオーダーに対し、その場でたちどころに三十くらいの数のアイデアを思いつくということです。
 そしてその三十をすべて捨てるとのこと。
 なぜなら、たちどころに考え出したアイデアは、他人も容易に思いつくものであるからなのだそうです。
 捨て去ってから、新しいアイデアを生み出しにかかり、応募するそうな……。

 というわけで、よほどのアイデアでない限り、アマチュアには厳しい。
 僕が考え出したアイデアは、率直に言って、誰でも考えつく、その程度のものだったと思います。

         ※

 それにしても、おもしろかったな。
 平凡なアイデアだったとしても、独力で生み出したらやっぱり本人はうれしいのです。
 アイデアをまとめたのが夜中の十二時過ぎでしたか……?
 当時、僕は賃貸アパートに住んでましたが――イヤあなた、その前が公園になっていてな!?
 僕はアイデアが出たのがうれしくてたまらず、外に飛び出て、ベンチの上に仁王立ちになってな!?
 歌を歌ったよ! わはは。
 もちろん近所迷惑だから、無音のクチパクで――それでも大声で(?)――歌いましたよ。

 たとえそれがカスでもクソでも、
 アイデアが出たときの恍惚感は、知る人ぞ知る。
 思わずバカも、やってしまうというものなのです。

 ま、そういうものでございます。






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