備えあれば憂いなし・地震
エッセイ/原稿用紙3枚/2004.1.24
社会地理の授業中のことだった。
難しい問題が出され、運悪く僕が指名された。いやいや立ち上がって一呼吸したとき、それが起こった。
教室のすべての物体が、いきなり動いた。机が右に滑り、すぐ左に動く。これが何度も繰り返され、止まらない。教室にどよめきがおこった。
西暦1983年5月26日午前11時59分。これが、のちに名付けられた「昭和五十八年日本海中部地震」であった。
十数秒後、揺れは収まった。
教授はさすがに驚いた顔をしていたが、質問を忘れてくれてはおらず、おもむろに僕に返答を促したものであった。
実話である。当時僕は某A県某A市の工業高等専門学校、一般に高専と呼ばれる学校の学生だったのだ。
その日の授業は昼で打ち切られた。
僕は寮生だった。まずは遠い実家に無事の連絡を入れると、好奇心の導くまま、市街のようすを見に出掛けたのだった。
港のコンクリート製の桟橋が崩れていた。
排水溝の、鉄製の格子状のふたが、ぐにゃりとひん曲がっていた。
僕は冷静でいたようで、実際は無自覚のままショックを受けていたのだろう。この目で見たことを手紙に書き、小学校時代の担任の先生に送ったのだった。
なんでそんなことをしたのか、自分の事ながら、さっぱりわからない。
※
卒業後(先生方、ゲタを履かせてくれてまでして、卒業させて下さってありがとうございます!!)、就職のため、僕は兵庫県某T市の住人となった。
そして1995年1月17日午前5時46分。「平成七年阪神淡路大震災」である。
最初に書くが、僕の被害はまったくのゼロだった。なにも倒れなかったし、なにも割れなかった。
先の「地震」で、備えがあったからである。
僕の部屋には本棚が四棹あるが、すべて針金で壁に固定していた。その本棚を購入し、部屋に運び入れたその日のうちに処置したのが、功を奏したのである。
それでもかなり危なかった。本棚は針金で四重に巻き付けて固定していたのだが、そのうちの三巻きが外れ、最後の一巻きで持っていたのである。その一巻きで、僕は本棚の下敷きにならずに済んだのだ。(ふざける気は毛頭無いが、僕は悪運が強かったのだろう)
そのほか、僕の部屋には食料と水の備蓄があったし、その瞬間、懐中電灯も手元にあった。
友人(神戸住人・住居全壊)が後日語ったことだが、そのとき明かりがなかったため、彼はライターで照明の代わりとしたそうである。
ガスが漏れていたら惨事になるところだった、と彼は今だから笑う。
備えあれば憂いなし。されど油断大敵、であろうな。――終わり!