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おおよそ真っ直ぐ走ろう!(初日)

エッセイ(旅行記)/原稿用紙27枚/2004.1.25

初日 2002/08/10  (記:2002/08/17)
中日 2002/08/11  (記:2002/08/21)
千秋楽 2002/08/12  (記:2002/08/24)


注記:これは、前の拙作サイト「YAO-箱」からの再掲です。車でGO!のお話。経済的理由で車を処分した今、ドライブが出来たあのころが懐かしくてたまりません。ああ、僕は再び車を所有できる身分に戻れるのでありましょうや?(なお、本文中で、自分のことを「俺」と表記しています。若かったのだな。その他今となっては不適当な表現があるかもしれませんが、記念に、そのままにしときます。ご容赦。)


縮小版。(原寸大はこちら。)

 まずは上の地図≠ご覧下さい。一目でどこかわかった人は地図の通≠ナある。自慢してよろしい。
 その昔、単独行の登山家として有名な加藤文太郎は、普通の登山はゲップが出るほど極め尽くし、しょうがなしに戯れに地図上の適当な場所に定規で直線を引き、その線上の現実のコースを、たとえ崖壁だろうが沢だろうが、その通り真っ直ぐ走破したということである。
 おっちゃん、なんちゅうアホなことをやったのだろうか?!
 オモロイではないかい!――そんなわけで、今回のこのおバカ企画は、それを現代版でやってしまおうというシロモノなのでございます。しかも現代だから車で。車だから道路しか走れん。それで題して、おおよそ真っ直ぐ走ろう!≠ネのでございます。なんて論理的なんざましょ!
 またヒマにまかせて変なことやり始めたぞ、とお思いでしょう。が、とにかくまずは地図上にこれだけの真っ直ぐなコースを見つけた俺様をほめておくれではないだろうか? 上の地図で左、日本海福井県「越前町」から右、太平洋福島県「勿来〈なこそ〉町」まで、直線距離にして約 444km。ニッポンによくぞこれだけの直線≠ェ隠れていたものである。我が国もまだまだ捨てたものではないということだ。(どゆコトだっ!?)
 かくて、影のヒーローでありながら表は普通の勤め人である俺様(ウソ)は、'02年8月、盆の連休を利用して、この崇高な冒険(?)に挑んだのでありました。


2002/08/10(土)晴
 am6:00。天気上々。夏の早朝の薄い柔らかな青空には、ミルクのような白い雲が所々浮かんでおり、写真に残したいとチラと思ったものである。が、今の手持ちの記録道具であるところの「写ルン」は、空の色は明るく飛んでしまい、高度な描写能力がないことを今までの経験から知っているので、撮影は諦めることにする。並以上のデジカメがほしいところである。ま、俺も「宝くじ」に期待することにしときましょう。

越前町の海水浴場。直線だらけ。ハタが気に入りました。

 それはともかく福井県「越前町」を意気揚々と出発。まずは R417を東へ順調な滑り出し。ここでいきなり事故ったらタマランのである。今一度安全運転を心に誓う俺様であった。
「鯖江市」の北を横切り R8に出て、北上する。ここで、俺様のスーパーうるとらボロ車・スプリンター(1500cc)を、ひょいひょいひょいと抜き去った軽自動車があったので、当然抜き返す。そしたらまた抜かされたので、またまた抜き返してやる。そしたら……え? なに? アンゼンウンテン? ……なにそれ?
 不毛な争いをやっているうちに「福井市」に近づく。カーナビを見ると、 R157へショートカットできそうなルートを見つけたのでそちらに車を進める。横に50メートル読み違えて田圃の砂利道を行け行けと突っ走ったのはここだけの秘密である。無事 R157に出て、東行き。ここで赤信号を無視して抜き去っていくトラックがあったので……不毛だからやめとく。普通にひたすら東行き。午前中だから日の光が眩しいものである。

「大野市」南回りのバイパスを走り、車はだんだんと山の中へ入っていく。高度も上がる。山の天気は変わりやすいと言われるが、その通りで「小雨」がぱらつき出す。

 am8:00。「九頭竜湖」西端「和泉村」に到達したところで小休止する。駅前の駐車場に駐車。横っちょの広場に、恐竜の模型(デカイ)がゴジラよろしく突っ立っている。なんでも和泉村は、日本で初めてティラノザウルスの牙の化石が見つかったということで、大いに盛り上がっているようすでした。
 さて、ここで重大なミスを発見してしまう。なんと、車のトリップメーターをリセットするのをド忘れしていたのだ。これでは実走行距離がわからんではないか。せっかくの走りが無駄、は言い過ぎにしろ、かなりおもしろくなくなるというものである。しょうがないので、カーナビで今までのルートを設定して計ってみることにする。細かいショートカットはゴメンしてもらって、約 96km。とゆーことは平均速度がだいたい 50km/hで、ちょっとビックリする。下道をよくそれだけの速度で走れたものだ。朝の早いうちだから出来たのかも知れぬ。とにかくトリップメーターをリセット。コースを走り終わったら、その結果に今の 96kmを追加することにする。でもまあ、初めのうちに気付いてよかったというものである。これがずっと忘れっぱなしだったら、カーナビもお手上げの走行ぶりだっただろうから……。
 走行再開――。「雨」のせいか、九頭竜湖は土色に濁っていました。

 岐阜県に入りすぐ。「白鳥西IC」から走ってみたかった「東海北陸自動車道」に上がる。終点目指して北上。
 am9:00。「ひるがの高原SA」到着。「写ルン」と「牛乳」を買う。(ところで本編と全然関係ないけど、今タイプミスをしました。キーボードを見ると、「ゆ」と「よ」が並んでいるだろ? 一応ブラインドタッチで文章打っていたら、「牛乳」が「牛尿」になっちまった……)

「ひるがの高原SA」の公園。灰色のバックもなかなかよろしいかと。

 それはともかく、「飛騨清見IC」で終点。天気も「晴」に戻りました。気分良く R158をもうひたすら東へ。「高山市」に至るが、市内には入らず R41で迂回してさらに R158を先へと進む。今までのところ、大きな都市は混雑・渋滞がイヤ(過去に盆の「軽井沢」でエライ目にあった)だから、市内は避けて走っている。こんなとき道路の標識とカーナビはありがたい。とくにカーナビの便利さは改めて認識直したりする。

 車はどんどん高度を稼いで行って――さて、本日の目玉のご紹介である。
「乗鞍スカイライン」――おお!
 一番高い道路!
 別天地に現出した異次元の道!
 なんて魅力的なんでしょう! 別世界にあこがれる心がうずうずいたします! 前から走ってみたいと思っていた道路なんでございます。そう思いつつン十年。遠征計画(?)も全然立てず終いでいました。思ったら即実行しなければ、いつまでもいつまでも、いつまでもやらないいい見本である。この有料道路、一般車の走行は今年限り、というニュースが放送されたので、ようやくケツに火が点いたしだいなのだ。
 R158から、スカイラインスタート位置へ。料金所で、「頂上駐車場は約2時間待ちですよ」と教えられる。まあある程度覚悟してたからいいのだ。とにかく今回のラストチャンスを逃すわけいかないの。そゆわけで料金 1570円払って出発しました。

最初のうちはこんな感じ。

 ボロ車、シフトレバーはもう最初からセカンドの位置である。窓を開け、いままでかけていた音楽やカーナビ、クーラーを OFF。電圧を確保する。車は酸欠の魚よろしく、イメージ的に口ぱくぱくさせながら、踏み込んでも時速 30〜40キロの速度でなんとか前進して行く。ああ、パワーがないな。こんなとき、新車がほしいなと思ったりするのである。しかしながらこのボロ車は幸せ者である。とりあえず俺様にいろんな所に連れて行ってもらえているんだから。これで行ったことがないのは海外だけになってしまった。北海道、四国、九州……特に四国は、俺自身、他の交通手段でも行ったことがない。魔境・四国。そのうち行ってやるぞ、と心に誓う。(さあて何年後になるやら……)
 話が横道に走ったが、乗鞍スカイライン。最初の間は普通の山の中でしたが、あるところからスッパリと景色が変わりました。ごお、と開ける視界。

車内から撮影。空が白くなってしまいました。

 おお別天地――!
 森林限界線を越えたのか、今まで車を包み押さえ込んでいた深緑色の森がなくなり、浮き上がるような明るい緑色――土と岩と波打つ背の低い草と地面にへばりつく低木のみの山肌。そこより上がない大地の天辺。大きく広がる青空。雲が大きく、造形が細部までくっきりと見え、白く踊り狂った一瞬の形のまま、地上ではわからぬ、そばで見なければわからぬ恐ろしい速度で、その繊細な形状を崩すことなく水平に流れていく――。
 こんなとき、俺は宇宙のすぐそばにいる、と感じるのである。地球の自転が、山の頂上が、宇宙を擦っているのである。
 ああ写真はありがたい。この情景を俺の筆では描写しきれません。(とゆーことは、俺は「写ルン」以下っちゅーことであるな)
 排気ガスを垂れ流すのが誠に申し訳ない思いである。話がまたずれるが、子供のころからオフロードバイクに興味があったのだが、自然の中に乱暴に入り込んで、排気ガスを撒き散らして帰って行く、というイメージがあって、金を稼ぐ大人になっても、とうとう何も実行できませんでした。確かに捨てるものはなかったが、得る物もなかった。うーん……人間、いろいろあってなかなか難しいもんである。
 さて乗鞍スカイライン。頂上駐車場まであと1kmの地点で、車の列の最後尾に並びました。時間をチェックするとちょうど am11:00。のんびりと時をやり過ごす気持ちモードに心を切り替える。
 am12:18。到着(2700m)。ところでこのスカイラインは岐阜県と長野県の県境にあり、この駐車場は長野県である。一応観光地みたく駐車場の周りにぐるりとお店が並んでいます。まあ、この程度は許そう。なにより、邪魔者以外の何者でもない音楽が全くならされていないところが気に入りました。静寂こそがなによりのBGMである。

サンダル履きの俺様の勇姿。
顔は世界平和のためお見せできません。

 主峰「乗鞍岳剣が峰」(3026m)はここからまだずっと先にあり、移動手段は徒歩のみ。ホンモノの登山家の領域であるからダメとしても、駐車場すぐ横の、その名も恐ろしい「魔王岳」(2764m)は、看板によると徒歩 15分の距離にある。事実、見上げるとすぐそこに、目に見えるのだ。記念に自分も登っておこうと考えるのは自然でしょう。実際歩いたら 10分程度でした。(キースちゃんやリョーちゃんだったら5分でオッケーだろうよ)
 しかし、車でここまで上って、サンダルで魔王を制覇……。そりゃ山も泣きたくなるであろう。あまり関係ないかも知れんが、一般車規制はやっぱりいいことだと思ったりする。
 魔王岳。簡単に登ってしまったが、空気の冷たさと風はやはり実力を存分に発揮している。耳が痛く、耳なしホーイチを追体験できること請け合いである。夏だからとナメるの厳禁である。
 頂上駐車場のお店でペットボトルのお茶と、五平餅とイワナの素焼きを買う。こんなトコで川魚はないでしょうが、好きなんだからしょうがない。お茶は 150円、お餅は 300円、焼き魚は 800円でした。ところで買って口にするまで、イワナはてっきり塩焼きかと思ってましたよ。どうやら骨酒の材料だったらしい(うう!……ヨダレが……)。ま、うまかったからよしとする。(ただし餅はぺけ。お茶は論外)
 pm1:18、出発。偶然であるが、ぴったり1時間いたことになる。

 ところで最初の計画では、真っ直ぐ≠フ主旨に則り、途中、今のように寄り道しても、その道を引き返してコースに戻って、そこからキチンと走り直す、と決めていたのだが。ところがである。乗鞍スカイラインを引き返すとまた料金を取られる上、そもそも引き返すのがしょうに合わない。で、このまま道沿いに県道を真っ直ぐ走り、 R158に戻ることにする。(戻れるのだよ。)当然、予定していた「平湯温泉」も「安房峠のトンネル」もパスすることになる。ここら辺から、俺様の計画は狂い始めるのである。

 さて、再度 R158に出て、東、「松本市」に向けて車を走らせる。途中、「安曇村」の道の駅≠ンたいな所で、今年初めての西瓜を食う。一切れ 100円。風通りのいい日陰のベンチに座って、観光客の子供たちと一緒に、種をぷっぷぷっぷしながら食べましたよ。久しぶりという感じ。なかなかうまし。
 しかし、いい天気である。周りを田舎の気のよさそうな山々に囲まれて、風が吹くと森の葉がざわざわします。一句浮かんだぞ。

 南風吹けば山宝なり銀裏葉

 はえふけば、やま、たからなり、ぎんうらは。なんか説明的かな。写実主義なのさ、べらぼうめ。どうでもいいや。ということで出発進行。
「松本市」は道路標識を頼りにまたしても迂回する。バイパスを通り、 R20に出ることなしに、地図上でより真っ直ぐ≠ノ見えた R254に突入する。横に R143が併走してるんだけど、そっちは以前走ったことがあるしね。

「上田市」の南、 R18に出る。そのまま今度は南下する。少し行くと「滋野」という所があるが、そこから山を越えて R406(?)(何本か合流しているからようわからん)へ至るルートがある。そこを走る。
 いや、ここは面白かったな。峠までほとんど登りの道。たえず空に向かってシートに座っている状態になるんだわ。なんだかスペースシャトルの搭乗員になった気分だった。
 ところでその峠の名前は「地蔵峠」という。地図でそれを確かめたとき、てっきり有名な地蔵さんでも突っ立っているんかな、と思ったけど、実際は地蔵さんもなんもありません。あったのはスキー場でした。せっかく地蔵さんに、これからの交通安全と、ついでに世界の平和と繁栄……、給料が上がることと宝くじが当たることを祈ろうと思っていたのに、残念なことであったよ。(逃げたんかも)
 さて、峠を越えると群馬県である。ぐぐっと下って R406に到着。またしても飽きることなく東行きである。

 ところで時計を見ると pm4時過ぎで、まだまだ明るいけど、そろそろ寝床を考えないといけない時間である。最初のうちは車内泊でいいやと思っていたのだが、地図を見ると「嬬恋村」から「草津温泉」に伸びる県道があるではないか。
 草津温泉……う〜む。う〜〜む。ううう〜〜む……。もう、超強力な引力である。ブラックホール。車内泊するにせよ、とにかく湯に浸かるだけでもしたいではないか? 決定、車をそちらに向けることにした。

「草津町」に到着。なんか涼しい。高原と言っていい所。俺は草津温泉は初めてなんである。わくわく。
 町の入り口に、旅館案内もやっている米屋を発見。実は昨夜は、スタート地点付近に移動してそのまま車内泊したのである。例によって車内ベッドを用意したのだが、クッション 4個はさすがにかさばるので、クッション 2個による簡易ベッド方式にしたのだ。おかげで脚を曲げて寝なければならず、正直、今夜はちゃんとした所で安眠したいという気持ちであった。
 ダメなら仕方がない「長野原町」辺りで今夜も車内泊でかまわんわい、とダメモトで案内所に入ったところ、そこの奥さん、ペンションなら空いてるとのこと。
 8500円。ちと割高だが、それでオッケーを出すことにする。この時間で一人だからしょうがないよな。その場でクーポンを発券してもらい、現金と引き替える。ペンションにはそのクーポン券を差し出すシステムである。それから絵地図をもらい、場所を教えてもらい、確かめながら車をのろのろと走らせ、5分後に到着する。そこにいた他のお客さんは小学生の野球チームのようで、いや、賑やかでした。通された部屋は和室。グッドグッド。今夜は脚を伸ばして眠れそうです。


 ペンションのオーナーのじいちゃんが言うには、急な宿泊なもんで、夕食は用意できないとのこと。温泉にも入りたかったので、お薦め≠聞いてから町中に繰り出すことにする。

川下(?)側の様子。 「湯畑」。手前から奥へお湯が流れています。

 草津の温泉街はそう大きくなく、 10分も歩けば中央に到着してしまいます。そろそろ空の明かりが落ち始めた時分、ライトアップされた、中央広場の、まるで「千と千尋」にでも出てきそうな「湯畑」(これは説明・表現に困るから文章化しない)を眺めたあと、そばのお薦めの「白旗の湯」に入ることにしました。

「白旗の湯」正面。

 その古い、木造の趣のある建物の前に、一昔前くらいの近代的なコインロッカーがあったので、全財産が入ったサイフ等貴重品をその中にしまうことにする。(必要額だけ持ってきたらよかったよ。)このロッカーは広場の中に突っ立ってあって、というか湯屋そのものが広場の中にあって(というか湯屋の前に広場ができたんだな)、なんだかすぐ盗難にあいそうで不安を感じるのだが、温泉客に悪い人はいないと可憐に信じ込むことにする。
 ところでコインロッカーは料金 200円なのだが、セットした瞬間、サイフが必要なことに気付いてしまう。入浴料金が払えないではないか! なんちゅうドジ。いきなり解除するはめになったのでありました。
 サイフから千円札一枚(それで足りるだろ?)を取り出してから再度 200円でセットする。これでよし。千円で足りなかったら笑い話だな、と思いつつ湯屋の建物の中に入ると、そこで初めて知ったのだが、建物の中には、湯船と脱衣場しかなかったのでありました。つまり無料なんだぜベイビー。さすが草津は太っ腹である……。
 ……ああ 400円! これはもう、入浴料と割り切るしかないのでありました。
 湯屋全体の広さは十畳程度だったろうか? 湯船は二槽(単位は槽≠ナいいのかな?)。ちょうどいい温度のと、熱いのと。熱い方は縁に腰掛けて、脚を浸けるのが精一杯。あっちっちあっちっち。あつう〜〜。入浴者五、六人おったけど、肩まで入るのに成功したのはたった一人だけでした。
 適温の湯を肩まで浸かり、湯煙、高い天井を見上げて、月並みですがくつろぎのひとときを過ごしました。

 入浴後、近くのソバ屋(シャレじゃないぞ)で天ぷら蕎麦と生ビールを注文する。
 ……以前、「お酒は積極的に飲まない」と誓ったのであるが――そうは言ってもここは情緒あふれる温泉旅館街なのである。
 だから仕方ないのである。
 日本酒を注文しなかったのがせめてもの事なのであるんだよ。
 ただし、ビールはマズうございました。ア○ヒのド○イビールだったんだが、久しぶりのビールで、おかげでマズさの陰に消されてしまったビールのウマさを見つけだした思いがしたもんだが、いかんせん、マズい方がどうにもならないほどずっと強く、とうとう半分以上残してしまいました。
 ソバ屋を出てから、広場の「湯畑」をまた眺めたりしました。ライトアップで幻想的になっています。辺りは本格的に暗くなり始めているんです。
 ところでそこに「足洗湯」というのがあって、腰掛けて脚だけ浸かる「あずまや」みたいなのがありました。サンダルで来た気安さから、即、裸足になってちょっと浸かってみたりしました。まあ、俺もそれなりに楽しんだということである。

 ペンションに戻る途中、坂の上から見る町の景色に見とれました。夏の宵暮れ。その蒼く暗い空気の中に、照明が灯された建物が並んでいるわけだ。それなりに雰囲気がある。
 俺は文芸作品を極めて知っていないのだが、梶井基次郎の表した世界に似ているかな、と思ったりしたもんだよ。なんたって温泉だし。
 誤解されてイチャモンつけられたら困るんで正確に書くが、なにも鄙びた木造旅館が建ち並んでいるのではない。今は昔ではないのだ。やはり近代的な鉄筋コンクリの建物が、ズラズラっと並んでいる。照明だって昔の儚い黄色ではなしに、目にギラつく白色蛍光灯だよ。第一、俺が泊まっているところだって旅館ではなくペンションだ。ペペン! 全然文芸作品の響きと違う――。
 ――でもいいの。こんなときは想像して勝手に作っちゃえばいいの。基次郎ごっこしたらいいのさ。

時どき私はそんな路を歩きながら、ふと、其処が京都ではなくて京都から何百里も離れた仙台とか長崎とか――そのような市〈まち〉へ今自分が来ているのだ――という錯覚を起こそうと努める。私は、出来ることなら京都から逃出して誰一人知らないような市へ行ってしまいたかった。第一に安静。がらんとした旅館の一室。清浄な蒲団。匂いのいい蚊帳と糊のよくきいた浴衣。其処で一月ほど何も思わず横になりたい。希〈ねが〉わくば此処が何時の間にかその市になっているのだったら。――錯覚がようやく成功しはじめると私はそれへ想像の絵具を塗りつけてゆく。何のことはない、私の錯覚と壊れかかった街との二重写しである。そして私はその中に現実の私自身を見失うのを楽しんだ。』 (檸檬)

一人佇む俺:「……」
俺の魂の叫び:(……クゥゥゥッ! 俺ってシブイぜ!)
 嗚呼、この草津特有の情緒に浸りつつ吾、帰り道をそぞろに歩いてゐると、前方から、恐らくはこれから湯に入るつもりなのだらう、逞しくも上半身裸の青年の一団が、賑やかに談笑をかわしつつ此方に向かってやって来るのであった。よくよく見ると此がみな白人、即ち外国人である。彼等は吾を認めると、各々片手をあげて陽気にデカイ声で挨拶を寄越してすれ違って行くのであった――。

「コンバンワー!」「コンバンワー!」「コンバンワー!」「コンバンワー!」「コンバンワー!」「コンバンワー!」「コンバンワー!」「コンバンワー!」「コンバンワー!」「コンバンワー!」「コンバンワー!」「コンバンワー!」「コンバンワー!」「コンバンワー!」

 嗚呼、吾も当然挨拶をお返しすべきなのであろうか……?

「コンバンワー!」「コンバンワー!」「コンバンワー!」「コンバンワー!」「コンバンワー!」「コンバンワー!」「コンバンワー!」「コンバンワー!」「コンバンワー!」「コンバンワー!」「コンバンワー!」「コンバンワー!」「コンバンワー!」「コンバンワー!」

 嗚呼、こんな格好の、バカ陽気な連中は、アメリカ人にまず間違いナシなんである――。
「……」
 嗚呼、草津温泉……。
 ――なんちゅーか、おお、ざっつわんだーかんとりー! あいえむべりーはっぴー、おーいえー、さんきゅーべりまっち!
 なのでありました。


中日 2002/08/11 


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